RHYMESTER 宇多丸さん
ラッパー、ラジオパーソナリティ
ヒップホップ・グループ「ライムスター」のラッパー、 『アフター6ジャンクション』 を担当するラジオパーソナリティ、コラムニストとして幅広いカルチャーシーンで活躍中の宇多丸さん。
10年以上に渡って『MDノート』を愛用する宇多丸さんに、『MDノート』との出会いや魅力について聞きました。――『MDノート』との出会いについて詳しくお話しいただけますか?
ラジオ番組で映画評論を始めることになったのがきっかけで。しゃべることをまとめておくのに、最初は適当に買った小さいノートとそこら辺のボールペンを使っていて。「ノートとペンなんて、なんでも一緒でしょ?」っていう、今からすると考えられないようなことを言い放っていたわけです(笑)。
でも、映画評としてもっと精度を上げたいと思うにつれ、ノートに書き込む分量も増えていき、とにかく「ストレスがないようにしたい」と思うようになってきて。
もともと文房具マニアであり『MDノート』愛用者でもあった構成作家の古川耕さんに「これがいいと思います」ってA5サイズの『MDノート』と革カバーをプレゼントしていただいたんです。初めて使ったときは「こんなにいい紙に書いていいの?」って驚きましたね。
その後、番組の特集でISOT(国際文具・紙製品展)の見本市で「DESIGNPHIL」さんのブースを取材する機会があって、ついに番組オリジナルノートまで作ったという。 とにかく「売れなかったら全部買い取って一生かけてオレが使う!」っていう強い気持ちで作ったのが『シネマハスラーノート』でした。
――オリジナルノートのこだわりはどんなところにありましたか?
左側に統一して余白が欲しいというリクエストをさせていただいて。本文にメインの論旨を書いて、余白に言い忘れたこととか補足を書き足していくスタイルなんです。
さらに、この余白には罫線の縛りがないことも大事。小さな字で書いたりもするので、自由度が高い方がいい。でも、この余白が見開きの外側に付いてるノートって割とあるんですけど、不思議と左側に統一されているものはなくて。今のこれが完成形。もう、これがないと仕事に差し障りが出るレベルです。
――『MDノート』には今どんなことを書いていらっしゃるんですか?
常に2冊持ち歩いていて、1冊は毎日の番組の記録用で、もう1冊は週1の映画評で話す台本に近いようなものですね。番組前の3時間くらい使ってギリギリまでずーっと書いているので、とにかく“ノンストレス”であることが大事。
僕は、ペンはゲルインキ派で、ある程度汁気が多くて黒がはっきりしていることが最優先なんですが、そういうペンとの相性の面でも『MDノート』はすごく優れていて。ペンの滑りがすごく良くて、滲んだり、ましては擦れたりもしない。原稿や歌詞を書くのは全部デジタル化していても、このラジオに関しては全部“手書き”なんです。
――手書きの良さ、手書きにこだわる理由はどんなところにありますか?
ラジオでの映画評は、「しゃべり言葉」というひと続きの流れの上に成り立っているものなので、単に情報を整理するというだけでなく、そうした持続的な「しゃべりの生理」に即した台本にする必要がある、というのが大きいと思います。放送直前に一筆書き的に書いているのもそのため。
あともうひとつ、ラジオというのは基本放送したハシから流れていってしまうものだから、そこになんらかの証を残したい、という気持ちもあるのかもしれない。その意味では、単に「メモする」ってことより僕にとってはもっと儀式度の高いものですね。
番組が始まってかれこれ14年間分のノートがありますが、ぐちゃぐちゃで読めなくたって「この時の自分の字」であることに意味がある。書くこと自体がドキュメント。黒で塗りつぶしてあったり、一回線で消して違う言葉で書き直していたり。強調する言葉をわざわざつけ加えてあったりすると、ああここは自分的にフォルティッシモだったんだな、とか。その時の感情がまた今も参考になるんですよね。
――ラップを始めたきっかけは?
学生時代に早稲田大学ソウルミュージック研究会ギャラクシーというブラックミュージックを聴くサークルに入ったのがきっかけです。春の新歓パーティーで、僕たち新人の歓迎会なのになぜか新人が出し物をやる決まりだったんですけども(笑)、何を思ったのか「ラップやります」って言って。ウソ英語のラップでしたけどね。「ウマイ!」って言われて調子にのって。
当時はまだ日本人のラップが今のように受け入れられてなくて、日本語のラップなんてカッコ悪いみたいな風潮もありましたけど、コンテストでB-FRESH 3というグループのラップを聴いたとき「こんな感じで英語の響きに日本語をはめていけば、洋楽のラップと同じ感覚で入っていけるんじゃないか」とコペルニクス的転回で思って。その頃、一年後輩で後のMummy-Dがサークルに入って、彼はすでに日本語ラップを書いていたから、「いい線いけるぞ」ってそそのかして(笑)ライムスターを作りました。
まだまだいろいろ実験中ですけど、今となってはむしろ、日本語には単純に英語っぽいというのとは違う、響きやリズムがカッコいい瞬間があるって思うことも増えましたね。
――最後に、これから挑戦してみたいことって何かありますか?
僕って、仕事には冒険心とか計画性ゼロなんですよ(笑)。
ラジオの映画評を打診されたときも、映画評論シーンは人数も多いし、ジャッジの目も多くて、スーパースターもたくさんいる。そんなところに出るのは嫌だって言ったら、そのいやいやなところも含めて観るつもりなかった映画を観るシステムならどう?と提案されて。そのおかげで、僕はようやく本当の映画ファンになれたとも思うんですけど。
そんなふうに、自分がやる意味みたいなことが僕にとってはとても大事なので、新しい仕事で声をかけていただいたら、呼ばれたということは僕がやる意味があることなんだと、その人を信じてみようという気持ちではいますね。
宇多丸
ヒップホップ・グループ「ライムスター」のラッパー、また平日の夜18時から21時に、TBSラジオで放送されている番組「アフター6ジャンクション」を担当するラジオパーソナリティ。
1989年、大学在学中にMummy-Dと出会い「ライムスター」を結成。活動初期の日本には、まだヒップホップ文化が定着しておらず、ジャンルとしての支持層ゼロ、日本語でラップをするための方法論もゼロという状態から活動をスタート。Mummy-Dと研究、曲作りとライブ活動を重ねて道を拓いてきた。さらにその頃は、アルバイトで携わっていた、雑誌のライター業を通して、ヒップホップ文化を紹介、ヒップホップそのものの支持層を獲得していくという両輪で奮闘している。結成から17年強を経てたどり着いた、ライムスター初の単独武道館公演を達成した2007年から、TBSラジオの土曜日の番組を受け持つようになり、本文中の映画評はこの番組からスタート。今日も「アフター6ジャンクション」の金曜日の名物コーナーとして人気を得ている。
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